『認』
相手の発言に我慢することを意味し
字の成り立ちで右側の作りである
刃
心
とは
謹んで言うの意味。
認めるとは 我慢してなのだ と初めて気づく
意味として
心に刃を当てる
その上
言 という字は
心と口から成り立ち
認めるとは
自然と湧き出るものでなく
心の底からでなく
頭と意識を使ってすることなのだと気づく
敢えてすること
果敢にすること
認める勇気
その感情は人にも自分にも
かなりのエネルギーや 心構えが必要
でも
やり遂げた時に
自分が1歩 1段 昇れる
受け入れる器を大きくできた証
人を認めることも難しいことですが
その前に
強敵なのは
『自分』
できないことを認める勇気を痛感し
それを乗り越える
また
できるようになる自分
受容できる自分自身となるために
自分を待つ
自分を構築する
目標を達成しなかった自分を認める辛さや
逃げてしまい目を背けたい思いに
改めて向かう
それをすることには時間が必要。
自分との対峙
苦しく
見たくない自分を見る
負の感情が細胞に蔓延し
身体の不調和 不具合が生じ
身体に現れる
感情が身体に逃げて言い訳をする
とことん逃げる
逃げても回避できない
身体を回復させるためにも
氣力を上げるためにも
認めること
自分の感情
状態を一旦 受け入れる
そうなんだ…….
わたし
と。
そこからスタート
始まる
認めるって
物凄くpowerがあること
powerのいること
それを積み重ねていく
もちろん 良いことも
自分を認め
人を認めることも
自分自身を成り立たせないとできないこと
謹んで聞く
もしくは
我慢して聞く
神のように
大きな愛で高くから
包み込んで聞くことが
できれば
頑張って
日々
けなげに
真摯に
生きている我が子のように思い
話を聞くことができるように
最初から
認めていること
この大前提で生きれるよう
人に接するようになりたい
いいえ、私はそうならなければならない
どこかに
好き嫌いや感じた印象で
自分の心の在り方が変わってしまう。
公平に どなたに対してもできるように
大切にすること
愛するということは
嫌いでもできること
自分の心に刃を立てて
先ずは
自分を認めることから
相手の方を認めることから